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博多華丸・大吉のブログ「博多華丸・大吉私信電心」 [お笑い芸人・バラエティー]

博多華丸・大吉.jpg博多華丸・大吉(はかたはなまる・だいきち)は、吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)に所属する日本の漫才コンビ1990年5月にコンビ結成し、吉本興業福岡事務所(福岡吉本)からデビュー。福岡で活動した後、2005年に上京し、吉本興業東京本社の所属となる。博多弁漫才を全国展開し活躍している。略称は華大(はなだい)。

 

博多華丸
(はかた はなまる、本名 岡崎 光輝(おかざき みつてる))
1970年4月8日生まれ。福岡市早良区出身。ボケ担当。

博多大吉(はかた だいきち、本名 吉岡 廣憲(よしおか ひろのり))
1971年3月10日生まれ。福岡県古賀市出身。ツッコミ、ネタ作り担当。

福岡大学在学中には2人とも落語研究会に所属し、そこで知り合いコンビを結成する。吉本興業福岡事務所の1期生のオーディションに合格し「鶴屋華丸・亀屋大吉」(つるやはなまる・かめやだいきち)としてデビューする(後に2人とも大学を中退)。福岡県をはじめとする九州・山口地方ではトップクラスの人気があり、全国デビューする前の1995年にフジテレビ『めちゃ²モテたいッ!」』(『めちゃ²イケてるッ!』の前身番組)で「福岡の人気芸人」として紹介され、福岡に来たナインティナインらとの共演も果たしている。また、本格的な全国デビュー前も『爆笑オンエアバトル』に出演しており、他地域でもお笑いファンには一定の知名度があった。

福岡吉本1期生で竹山隆範(カンニング)が同期に当たる。また、NSC大阪校では9期生の面々(ナインティナイン、宮川大輔、ほっしゃん。、矢野・兵動ら)が同期生[1]にあたる。ただし竹山は千原兄弟ら8期生が同期ということになっており、見解の相違がある模様である。

2001年の第1回「M-1グランプリ」では11位となり決勝進出とはならなかった。結成11年だったが吉本興業の社員から出場の依頼を受け出場、しかし準決勝の時点で主催者側から「10年を超えているのはやはり駄目」となり実質失格の扱いであった。当時は敗者復活枠が無くこの時点で結成10年を超えていた為、次年度以降は出場出来ず、これが最初で最後の出場となった。

2002年頃から東京進出が噂になり始め、当時吉本興業社長だった林裕章から直々に「ぼちぼち福岡からも目玉を出さなあかんな。もちろん君らからや」と言葉を投げかけられるものの、直後に林社長が病に倒れ会長職に退いたことや、福岡吉本も一枚看板「華大」がいなければ巡業などの仕事も減る為、この話は一度立ち消えとなった(テレビ西日本「ふとっぱら」より)。

2004年4月、「名前を変えればM-1に出られる」という単純な理由(実際は改名後1回もM-1グランプリに出場していない)と、元祖爆笑王に「福岡吉本らしい屋号にしたら?」と勧められ屋号を博多に変更した現在の芸名となり、2005年4月に3年越しの念願であった東京本社へ移籍。移籍後はルミネtheよしもとでの舞台などが主な活動の場となっている。また、月に数回は福岡での仕事も出張として行っている。しかし、テレビ局や制作会社には新人とみなされたため、東京進出直後はテレビ出演一本あたりのギャランティは福岡時代より断然減っており、出演数をこなしているのでそれなりの生活が出来ている状態であった。また、上京直後に初めて笑いの金メダルのオーディションを受験した際、担当ディレクターが福岡出身でなおかつ学生時代から華丸・大吉のファンであったことから「お願いですから(たった1分の出演のために)こんなオーディション受けないで下さい」と言われたことがあり、エンタの神様のオーディションにも落選している。芸歴が長く場慣れしているため、この手のお笑い番組が求める新鮮さとは合わず、当時はなかなか仕事がもらえなかった(2007年・ナイトシャッフルでの発言より)。

2005年10月、とんねるずのみなさんのおかげでした内のコーナー、博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜の第6回大会に華丸が出場、児玉清のモノマネで優勝し、注目を浴びる(その後、第7回大会も優勝し、連覇する)。

2006年2月、『R-1ぐらんぷり』の決勝に進出。児玉清のモノマネのネタで、華丸が優勝。なお、この大会で披露したネタを作ったのは相方の大吉であり、裏方に回って華丸を支えていた。

2006年5月19日にはなかやまきんに君からの紹介で『笑っていいとも!』のテレフォンショッキング出演を果たす(1週間前の同コーナーには偶然にも児玉清が出演していた)。

2006年に、親交があるつんくが福岡で活躍していたタレントの出光加奈子と結婚したが、紹介したのが華丸・大吉であった。華丸は「いつワイドショーが取材に来るか分からないから」と髪を整えてずっと待っていたが、一切取材が無く終わってしまった。

長らく福岡で活躍していたため、東京進出まであまり視聴者には知名度が無かったものの、福岡に仕事でやってくる芸能人・業界人とは親交が深い。華丸は藤井フミヤと飲み友達であり、前述のつんくを始め、三沢光晴や下柳剛など各界に友人知人がいる。

また、福岡吉本出身の芸人の兄貴分的存在であり、多くの後輩から慕われている。特にパンクブーブーとは交流が深く、彼らの実力と才能をいち早く見抜いた芸人の一人でもある。確かな実力を有しながらもなかなか売れなかった彼らを不憫に思い、大吉は七夕の短冊に「パンクブーブーに光が当たりますように」と書いたことがある。その年にパンクブーブーはM-1王者に輝いた。 一方、パンクブーブーも、華丸・大吉が東京進出して間もない頃は、二人が早く東京や東京の芸人に馴染めるように色々と売り込んだり、心を砕いたりしていたという。黒瀬は華丸のことを「お父さん」と呼んでいる。


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