指原 莉乃(さしはら りの、1992年11月21日 - )は、日本のアイドルであり、女性アイドルグループHKT48チームHのメンバーである。
大分県大分市出身。太田プロダクション所属。
2008年3月1日、チームB3rdで初ステージを迎える。
2008年8月2日、チームBへ正式加入。
2009年6月下旬から7月上旬にかけて行われた13thシングル「言い訳Maybe」選抜総選挙で27位になり、カップリング曲『飛べないアゲハチョウ』をアンダーガールズとして歌った。
2009年8月23日に行われた『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演にて、2010年よりチームAに異動することが発表された。
2010年3月25日に行われた『AKB48 満席祭り希望 賛否両論』の夜公演にて、太田プロダクションから移籍打診があったことが発表された。
2010年4月30日から、指原莉乃オフィシャルブログ「指原クオリティー」を開始した。
チームB昇格後、わずか81日で「大声ダイヤモンド」に初めて選抜メンバー入りを果たし、続く「10年桜」・「涙サプライズ!」と3曲連続選抜入りを果たした。
一人称は主に「指原」。鼻と口の間に手を置く癖があり、浦野一美や小林香菜に「指鼻(さしはな)」と注意されていた。
アイドルオタクであり、モーニング娘。の亀井絵里やBerryz工房の熊井友理奈、℃-uteの萩原舞、ももいろクローバーの早見あかりが好きである。『AKBINGO!』などではヲタ芸を披露している。
チームB 4th Stage「アイドルの夜明け」公演の自己紹介でのキャッチフレーズは「私の性格って、白いですか? それとも黒いですか? 私の性格は限りなく白に近い灰色。大分県出身、指原莉乃です」。
好きな食べ物として、はなまるうどんの温玉ぶっかけ(小)やコンビニのおでんを公演などで挙げている。
母親が大分トリニータの熱狂的なサポーターだった影響で、指原自身も小学生の頃からサッカースタジアムに通っていた。
ピアノとトロンボーンを演奏することができる。
元AKB48の中西里菜とは同郷である。また佐藤夏希と宮澤佐江の高校の後輩である。
大家志津香(福岡県出身)、北原里英(愛知県出身)、元研究生の冨田麻友(香川県出身)、現在SKE48の中西優香(愛知県出身)とは、上京してから約1ヶ月間共に生活した間柄で、指原を含めたこの5人は「地方組」という愛称で呼び合っている。
SKE48の小野晴香は中学の先輩であり、兄の同級生である。
自身がAKB48加入前からチームAの佐藤由加理の大ファンで、彼女のDVDや写真集も持っているほどである。
チームB 4th Stage「アイドルの夜明け」公演では、ユニット曲「愛しきナターシャ」のメンバーである片山陽加、田名部生来と3人で「チーム狩人。」を結成し、メンバー各人がドリアン指原、ディーバスセニョリータ片山、グロリアス田名部と名乗り、活動していた。「チーム狩人。」は、チームB 4th Stage「アイドルの夜明け」公演の千秋楽をもって解散した。
新チームAの多田愛佳を溺愛している。
「ソニーミュージックSDオーディション」の出場がきっかけとなり、1996年5月2日、シングル「愛の才能」でデビュー。オーディションでは歌いながら会場を走り回るというパフォーマンスを見せたという。代表曲は「1/2」「桜」など。
歌詞は独特な言語感覚が作詞に反映されており、難しい言葉や言い回しを使っているわけではないが一聴での理解は難しい。また、その歌詞を、早口でリズムを作りつつ一度に歌いきるのも特徴的で、どちらかというと歌唱というよりはラップに近い歌い方で歌い上げていくスタイルである。特に初期の曲「やきそばパン」に至っては早口部分は聞き取ることさえ困難であった。
デビュー曲「愛の才能」は岡村靖幸が作曲・編曲・プロデュースした。川本自身が岡村ファンだった。一方でその岡村靖幸色の濃い「愛の才能」で川本は作詞・歌唱だったことと、ぶりっ子にも見えてしまう不思議ちゃん的な本人のキャラクターもあって、デビューからしばらくの一番大事な期間をアイドルに近い扱いしかされなかった面がある(のちにホームページでさまざまないきさつを語っている)。それ以降は川本自身の作曲、石川鉄男のプロデュースで、ミュージシャンとしての本来の個性をより前面に押し出すようになった。
DNAと1/2のPVでギターを弾くのが印象的な彼女だが、もともとピアノがメインでギターはほとんど弾いておらず、2ndシングルDNAのPVのためにギターを弾かなくてはならなくなり、一生懸命練習したと自身のwebサイトで告白していた。
そもそも、音楽活動は好きなもののプロミュージシャンとしての役割を認識していなかったためか継続的な音楽製作、レコーディングなどは苦手であった。1st album『川本真琴』の発表後からその兆候は現れ始めるが、2001年発表のシングル「ブロッサム」を最後に体調を崩したり、レコード会社との方針が合わなくなり、音楽活動を止めることを決意するも引き止められたりするなどあり、ライブ活動などに専念するようになり、新曲を発表していない。2002年には事務所を離脱し、表舞台からは姿を消すようになる。
2005年、カネボウ「ALLIE」CMソングに安西マリアのカヴァー、「涙の太陽」が起用される。しかし、現在でも未音源化のままである。
2006年1月に自身のホームページにて「川本真琴」名義での音楽活動を終了することを発表。 同年夏、期間限定の3人組コーラスユニットミホミホマコトを組み、5年ぶりにCD発売など本格的に音楽活動を再開させる。また、同年8月9日、新たにタイガーフェイクファ名義での1stシングル「山羊王のテーマ」がハマジムレコーズより発売される。
2009年10月17日の福井・CHOPでのライブで妹とのユニット、カワモッツを披露する。
以前ライブ会場のみで販売していた、川本も参加したヤギOのアルバム『三枚目山羊王』が配信限定で2010年1月6日にリリースされた。また、彼女のセルフ・プロデュースによる3rdソロ・アルバム『音楽の世界へようこそ』が、2010年2月19日にリリースされた。「川本真琴 FEAT. TIGER FAKE FUR」名義によるフル・アルバムで、川本真琴名義の作品としては2001年のアルバム『gobbledygook』以来、およそ9年ぶりとなる。
「ViVi」の同期は佐田真由美、岩堀せり、岩田ゆり、長谷川潤、相沢紗世など。
「ViVi」卒業後、2008年10月31日に代々木体育館で行われたViViの創刊25周年の記念イベントにOGモデルとして久しぶりに公の場に姿を現した。
現在では、アパレルブランドや化粧品のディレクションを行う、株式会社Pictureを設立し、幅広く活躍。
モデルとしては、「GLAMOROUS」「美人百花」「sweet」「bea's up」などに登場。
会社設立と同時に芸名を佐藤萌未⇒佐藤萌実に改名した。
2009年春には、"JILL STUART"や"kate spade"を展開する、株式会社サンエー・インターナショナルから新ブランド"Love fool"の立ち上げにトータルディレクターとして参加した。
153cmという小柄な身長であるが、メイクのページなど顔のアップでの活躍が多い。
モデルとして活躍していた当時、axev(現在のエイベックス・エンタテインメント)では、浜崎あゆみと比較されるほどの姫っぷりを発揮していたとも。
佐藤萌実のブログ「モデルで社長 佐藤萌実」
舞夢プロ東京事務所所属。ハルナ幼稚園、香芝市立三和小学校、香芝市立香芝中学校、大阪女子短期大学高等学校(2001年3月)、大正大学文学部日本語日本文学科(2005年9月)を卒業。
父親は元大阪近鉄バファローズ選手・コーチで、現在東北楽天ゴールデンイーグルススカウトの吹石徳一。
1歳の頃に紙おむつ「メリーズ」CMの初代キャラクターとなり、小学生時代には関西ローカルのテレビ番組『わいわいサタデー』の「小学生美人コンテスト」にも出場している。また、相米慎二監督の作品『お引越し』のヒロインオーディションも受けているが2次選考で落選したらしい(この映画のヒロインに選ばれた田畑智子とは後に『SABU』『新選組!』『ハッピーフライト』などの作品で共演)。1996年頃から、舞夢プロに所属する魔女ランド倶楽部のメンバーとして関西を中心に演劇やライブ等の芸能活動を行っていた。
ファンからは「フッキー」の愛称で呼ばれることがある。
趣味は乗馬、英会話、CMウォッチング。
特技は空手(正派糸東流・初段)、フラフープ。その他に「円周率を下26桁まで憶えている」など。
苦手な食べ物はうなぎ、たけのこ、甲殻類(2008年3月 マネージャー談)。
身長:公称は169cmだが高校卒業後も成長し続けている。2006年5月の『笑っていいとも!』の『テレフォンショッキング』初出演時に、現在では170cmを超えていることを示唆する発言を行っている(それ以後出演したトーク番組でも暗にその件を認めてしまっている)。
声質:比較的低めの落ち着いたアルトボイスが特徴的であり、本人の弁によるとかつては「可愛らしい」声でないことを気にしていたようである。しかし現在ではその声質を評価されナレーションの仕事も多い。
所属事務所が関西であるため、デビュー当初は東京での仕事に関して業務提携によりホリプロ預かりとなっていた。それまで自宅で見ていた超人気ドラマ(ラブジェネレーション)の最終話近くになってヒロイン(松たか子)の妹役で出演することになるなど、その順調な芸能活動スタートに大手ホリプロの営業力が果たした役割は大きいと思われる。しかしこの提携はその後解消され、直後はメディア露出が減少(学業との兼合いもあったと思われる)したもののNHKなどの比較的堅実な仕事を中心に今日の人気を築きあげたのは本人の実力である。
バブル景気の終焉以降、剃ったり抜いたりして眉毛を細くするスタイルが流行するなか、それにあえて従わず比較的太い眉毛を保っているという点で、若手女優のなかでもユニークな位置を占めている。そのせいか映画『バブルへGO!!』ではバブル時代まっただ中を生きる女性の役を得て、劇中21世紀からタイムトラベルした広末涼子に「眉毛の太さ」でカルチャーショックを与えるシーンもある(実際には当時の流行にあわせて自前の眉よりも若干太目にメイクしている)。
10代の頃は、大人びた顔立ちゆえによく年上に間違えられたそうである。
スポーツ選手一家に育ったこと(弟2人はかつて高校の硬式野球部に所属しており、うち1人は甲子園での全国大会に出場している)、幼少時に空手を経験し有段者であることなどからスポーツウーマン役(初主演映画『あしたはきっと…』の女子空手部員役に始まり、『魔界転生』の女剣士、『メールで届いた物語』の女子ボクサー、『雪に願うこと』のばんえい競馬騎手、『素敵な夜、ボクにください』のカーリング選手、『フルスイング』の女子剣道部顧問、「Spo-Vege」(スポベジ)CMでのハイキックシーンなど)のオファーが多く、かつ本人も体当たりでそうした役柄をこなしてしまうため世間一般にはスポーツ万能と見られがちであるが、彼女自身は「運動神経は平均以下」と主張している。
高校まで電車に1人で乗ったことがなかった。
かつてTOYOTA「パッソ」のCMに出演していた関係で、2006年夏より初のマイカーとして赤のパッソを保有している(愛称はPakko)。またCM関連サイトでブログを公開していたが現在は終了している。公式HPのメッセージは月2回程度の更新。
芸能界での親しい友人は、乙葉・小西美帆・酒井若菜など。小西や酒井のブログに登場したこともある。また資生堂CMで共演して以来、加賀まりことときどきメールを交換している。
2008年に入り、女性誌『an・an』のグラビア、およびユニクロ製品「ブラトップ」のキャンペーンCMでバックヌードを披露し注目を集めたが、これに対し一部のファンから大胆なイメージチェンジを心配(あるいは期待)する声が上がった。吹石本人はこれに配慮したためか、「年齢もあるので今後はそういう仕事のオファーも来ると思っているが、決してヌーディーな仕事を積極的に取りたいとアピールしているわけではなく、たまたま同様の仕事が重なっただけ。自分としては肌を見せることにはやはり抵抗感がある」という趣旨のことをコメントしている。
2008年公開『ハッピーフライト』では綾瀬はるかの行動が「周りの人全員をツッコミにしてしまう(ボケ役の)キャラ」と初回公演でコメントしていた。撮影現場では綾瀬があまりにも人の話を聞かなかったらしく寺島しのぶと一緒にイジメていたらしい。(尚、寺島本人は綾瀬を「珍しい生き物という感じで毎日観察していた」との事。)
2014年2月のソチオリンピック( ロシア)では夏季・冬季通じて史上最年長で日本選手団主将を務める。
2月9日、最初の競技となった個人ノーマルヒルでは、1本目101.5mで、1回目首位のカミル・ストッフと10.8点差、3位のペテル・プレヴツとは3.6点差の131.2点の8位で2本目に進んだが、2回目に上位陣を上回ることが出来ずそのまま8位で終了した。
同月15日に行われた男子ラージヒル個人では、1回目139mを飛び、飛距離は1回目1位のストッフと同じだったが、葛西の方が飛型点が1.5点低く、ま た向かい風による減点も葛西の方が大きかったために、計2.8ポイント差の2位となり、2回目は133.5mを飛びストッフの距離を1m上回ったことで、 2回目のポイントだけならばストッフを上回ったものの、1回目の得点差を覆すまでに至らずそのまま2位に終わる。
それでも、1994年・リレハンメルオリンピックでの団体銀メダル以来20年ぶり、個人としてはオリンピック7度目の出場で初のメダルとなる銀メダルを獲得した。日本ジャンプ勢のオリンピックでのメダル獲得は1998年・長野オリンピックでの船木和喜・原田雅彦以来16年ぶりのことであり、41歳(正確には「41歳254日」)でのメダル獲得は、冬季五輪に於ける日本人最年長記録となったほか、冬季五輪ジャンプ競技に限れば1948年のサンモリッツ大会に於いて「36歳168日」で銀メダルを獲得したビルゲル・ルート(ノルウェー)以来約66年ぶりの世界最年長記録更新となっている。
難病を抱えていた妹がいる(臍帯血治療で克服し、2003年に結婚)。冬季五輪で金メダルという目標も、当初は妹を勇気づけるのが目的だったという。また自身の心の支えとなった歌としてかぐや姫の「妹よ」を挙げていた。
ジャンプ時の空中姿勢は、身体をスキー板より前に出るほど深く前傾させる。その独特のフォームはジャンプの本場・欧州で人気があり、ワールドカッ
プ総合3位に入った1992/1993シーズン頃から「KAMIKAZE・KASAI」(カミカゼ・カサイ)と呼ばれている。2010年のバンクバーオリ
ンピック競技終了後には、メダルを獲得したわけでもないのに海外数十人の記者による取材の輪ができた。その長年の競技実績と人気から各競技会場では葛西が
登場すると観客から大きな拍手が起こる。
40歳を越えて第一線で競技を続ける姿は海外の選手からも尊敬を集める存在である。2014年1月11日にワールドカップ史上最年長優勝を達成した際には、日本以外の多数の選手・コーチから、とりわけワールドカップ史上最多勝記録を持つグレゴア・シュリーレンツァウアーからは脱帽しての最敬礼での祝福を受けたほか、競技会場・オーストリアの地元紙は複数が1面トップでこれを報じ、ドイツの公共放送ARDは、「「驚異」という言葉はこれからは「カサイ」にすべき」と賞賛した。
東京都出身で、血液型A型。身長160cm、足のサイズは23.5cm。愛称「堂ちゃん」「どうまり」等。
家族は、祖父母・両親・妹の6人家族。また、優秀な愛犬2匹とも一緒に暮らしている。
13歳から5年間、スイス・チューリヒで過ごした帰国子女。
桐朋女子高等学校から青山学院大学文学部英米文学科卒業後、2004年に入社。
同期入社のアナウンサーは、上宮菜々子と佐々木亮太。
ちなみに上宮とは、桐朋女子高校での同期生だが、在学当時はお互いを知らず、入社後そのことを知り驚いたとのこと。
スポーツは基本的に苦手らしいが、スノーボードは高校時代から得意らしく、草野☆キッドの出演者紹介の特技の欄にも記載されている
星野真里とは、同じ青山学院大学文学部の同級生である。
マスコミ就職活動の方法は、青山学院大学の入学案内カタログにも紹介された。
所有資格は、普通自動車運転免許・日本漢字能力検定3級・実用英語技能検定準1級所持。TOEICは890点。
理想の男性のタイプは大らかな人、笑顔が可愛い人。芸能人だと妻夫木聡、歌手では桜井和寿のファン。
最近は英語で会話する機会が減り、英語を忘れてきているらしい。
2008年、一般男性と結婚。
研究生オーディションで選ばれた7期生のうちの1人。
2009年8月23日に行われた『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演にて2010年よりチームAメンバーに昇格することが発表され、同年6月19日に予定されている新チームA公演初日にチームAメンバーへ正式に昇格する。
仙台市立南光台中学校、仙台商業高等学校卒業。ラグビー部の同級生の伊達みきおと1998年9月に「サンドウィッチマン」を結成。
1995年に創立された吉本興業仙台事務所(仙台吉本)への所属を目標に別の相方と組んで「ゆやゆよん」というコンビ名でアマチュア活動をしていたが、所属以前に仙台吉本が撤退してしまった(仙台吉本に所属していたという報道があったが、これは誤報)。
「ゆやゆよん」として「仙台夕やけ劇場」の素人コーナーに出演していた。
5歳年下の一般人の彼女とはライブスタッフの受付をしている時に出会い、2009年6月8日に所属事務所を通じてFAXでマスコミ各社に2009年4月2日に入籍していた事を発表した。プロポーズは奥さんの方から。
生まれつき右目が開きにくい病気である。
影響を受けた笑いはスネークマンショー・ボキャブラ天国であり、自分にとってコントとは「血」、漫才は「肉」・「骨」と考えている
下積み時代のアルバイトはピザの店員、駐車場の警備員であった。
「ゆやゆよん」とは富澤が好きな詩人の中原中也の詩から選んだコンビ名。
2009年時点では芸歴13年。
ヘルニア持ちのため、直ぐに横になる癖がある。相方の伊達曰く、楽屋に入って直ぐに寝っころがったり、食事の際にも横になると言う。
かなりの人見知りであり、オードリーの若林正恭と共演した時は楽屋でおうむ反しのやりとりで時間を潰している。
ネタ作りはほぼ富澤が行っており、典型的な天才肌の芸人である。相方の伊達も「富澤は本当に天才だと思う。芸人辞めても普通に作家で食える」と語っている。
営業ではツッコミを入れながら積極的に喋り、お客さんとコミュニケーションを取る。
番組出演では漫画のようなリアクション芸が得意で、大喜利やコメンテーターでは的確かつ奇想天外なボケ回答が見られる。
ディフォルメされたイラストを描く事が得意。
喫煙者だが、自宅ではネオシーダーを吸う。
有吉弘行に「哀しきモンスター」というあだ名をつけられた。
苗字をよく「宮澤」と間違われることをネタにしている。
金属アレルギーで、金属製のアクセサリーを装着すると皮膚が荒れてしまう。
2008年下半期あたりからかなり肥えてきている。
「頑張って」や「頑張れ」と言われる事が嫌いである。
日本版のミッキーマウスの声帯模写ができる。
2008年放送の『くりぃむナントカ』の「ナントカ一発屋ツアー」の罰ゲームにて一発ギャグ「乗ってるか~い!ハンペンの上!」を披露した直後、恥ずかしさのあまり両手で顔を隠した。
2009年9月3日放送の『ザ・イロモネア』内の企画「ピンモネア」で見事100万円を獲得。同企画で100万円獲得者は鳥居みゆきに続いて史上2人目となる。
実家で猫を飼っていた事がきっかけで猫が好きになった。
カニ・サバなどの魚介類が食べられないが、さんまが好き。メロンソーダ・麻婆豆腐が好きだが、イチゴが苦手。
趣味はRPG以外のTVゲームで「ウイニングイレブン」が好きで友達のスキマスイッチの常田真太郎と遊ぶ事もあり、ワールドサッカー観戦。デビルマンなどのフィギュア収集・映画鑑賞。稲川淳二の怪談を聴く事、お笑い芸人が出版した本・宇宙人雑誌を読む事。
ワールドサッカー観戦を裏付けるかのように、過去にサッカーアルゼンチン代表や地元のベガルタ仙台のユニフォームを着て、漫才をしている。サッカーアルゼンチン代表のユニフォームコレクターである。
日本プロバスケットボールリーグの仙台89ERS・東北楽天ゴールデンイーグルスのファンで楽天の本拠地のシーズンシートも買っている。仙台89ERSのホームゲームではチアリーダーの格好で登場したことがある。
筋肉少女帯のファンであり、高校時代のラグビー部では目覚ましとして元祖高木ブー伝説を大音量で流していた
NFL のオークランド・レイダーズ、NBAのデトロイト・ピストンズが好きで、営業ではNBAのユニフォームを着用する事がある。
好きなファッションブランドはCUNEで、ジーンズにウサギがプリントされている。
サンバイザー・スカジャンを好んで着ている。ネクタイは締めると苦しいという理由で滅多にせず、ネクタイがプリントされた服で代用。営業では大量に汗をかくという理由でリストバンドを付けている。
岡田理江(おかだ りえ、1973年12月9日 - )は、日本のタレント、女優。本名同じ。
岐阜県揖斐郡大野町出身。ジャパン・ミュージックエンターテインメント所属。以前はアミューズ所属。岐阜市立女子短期大学被服学科卒業。弟は俳優の岡田義徳。
2001年4月から2006年9月まで、テレビ東京系『金子柱憲・高田純次ゴルフの王道』の2代目アシスタントを務め、広く知られるようになる。尚、番組内で1度チップインイーグルを出した。
特技は、ゴルフ・オートバイ(大型バイク免許取得)・ハンドメイドアート。ゴルフ歴は、高校時代にゴルフ部に入部して以来10年以上に及び、ベストスコアは86、ハンデキャップは22。
4期研究生オーディションで選ばれた18名のうちの1人。2008年4月15日付でチームAメンバーに昇格した。
デビューは2000年頃、舞夢プロモーション(現在:舞夢プロ)に所属。アイドル番組「アイドルビーム」に、芳賀優里亜・秋山莉奈・俵有希子らと出演していた。
AKB48に入る前からファンであり、AKB48劇場に足を運んで公演を見に行っており、劇場で知り合った人からオーディションの存在を知り、チャレンジしてみようと思い応募した。
2008年12月20日にJCBホールで行われた『年忘れ感謝祭 シャッフルするぜ、AKB! SKEもよろしくね』では骨折をファンに隠しての出演だった。
AKB48の13thシングル「言い訳Maybe」選抜総選挙で8位になり、初の選抜入りを果たした。
2009年8月23日に行われた『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の夜公演にて、2010年5月21日よりチームBに異動することが発表された。
一人っ子である。
倉持明日香と仲がよく、取材で一緒になることが多い。卒業した成瀬理沙とも仲が良く会いに行くことがある。また、小さくて可愛いメンバーが好きだという(藤本紗羅や石田晴香、山内鈴蘭など)。
主にニックネームには、前途の「あみな」、「あみにゃ」を用いているが、「あみなちやん」(小文字の「ゃ」ではなく、大文字の「や」)を用いることもある。また、AKB48の1・2・4期生や柏木由紀などからは「あみな」と呼ばれ、5期生や高城亜樹などからは「あみなちゃん」と呼ばれている。
2010年3月25日に行われた『AKB48 満席祭り希望 賛否両論』の夜公演にて、片山陽加とともにアトリエ・ダンカンへの移籍打診が発表され、同年4月14日から正式に所属することになった。
静岡県浜松市出身。コニープロモーションから移籍し、現在はプロダクション尾木所属。
趣味:ヨガ、サウナに入ること、スーパーでの買い物。
特技:ダンス、タップ、歌うこと。
目標とする芸能人:SMAP
歌、ダンスについてはアイドリング!!!メンバーからも評価されている実力者。
トークや企画では同世代の女性とはズレた常識や言動を突っ込まれる事が多い。その為、同世代との会話に緊張したり、過剰とも言えるほど恋愛トークには照れ、避ける傾向にある。
9歳下の弟がいる。
SPEEDに憧れ、小学4年生からダンススクールに通い始める。
2001年頃よりジュニアアイドルとして雑誌、イメージビデオ等で活動。
2004年、静岡発のローカルアイドルグループ「こねこねこ」のメンバーとして活動。
2006年、モーニング娘。Happy8期オーディションに応募。名古屋で開催された1次予選を通過するも落選。
2008年4月、アイドリング!!! にアイドリング12号として加入。
好きな食べ物は「茶色くなった梅干し」。ニックネーム「うめ子」の2つある由来の内の一つでもある。
小学校3年生から高校3年生までの9年間連続して学級委員を務めていた。
前室でオナラをしている事を自ら告白したことがあった。外岡えりかは、それを面白がって「プ~ちゃん」と呼んでいる。
自動車運転免許を所持している。帰省した際はハンドルを握るが、本人の弁によれば運転は荒いとのこと。
サンリオピューロランドが好きで、浜松在住の頃より頻繁に訪れている。アイドリング!!!として訪問した際も、ディズニー派の多いメンバーの中、社交辞令ではなくピューロランド好きをアピールした。
過去に、かっぱ寿司で、レジ打ちのアルバイトをしていた。
山口百恵の曲を好む。某オーディションでは「禁じられた遊び」を歌い、アイドリング!!!内コーナー「ラジオアイドリング!!!」のエンディングでは「愛染橋」を流し、同番組CP加茂裕治への自己アピールでは「ささやかな欲望」を歌い、お台場合衆国出演時の「カラオケ十八番」披露コーナーでは「赤い衝撃」を歌った。またカラオケでは荻野目洋子の「六本木純情派」なども歌う。
ハムスターが好き。中学生時、10匹以上に名前を付けて飼育し、二足歩行などの芸を教えていた。
父は、スラッシュメタルバンド「Ground Zero」のギタリストKAWAMURAだとDVD内の「身内自慢選手権」で明らかにした。父は、歌に対して厳しいと述べる一方、KAWAMURAはオフィシャルブログにて、娘の活動を応援する様子などを綴っている。また妹はCMなどに出演する女優の河村舞。
人と壁を作るような自身の性格を「人見知り」ではなく「自分の無知で話が合わないのが怖い」のだと言う。例えば、ファッション事情に疎くライダース、ノースリーブなどのファッション用語を最近まで知らなかった。流行の千鳥格子を用いたワンピースを着ていてもその呼び名は知らず、母が購入し送ってきたものから学んでいるのだと述べた。
はんにゃ、フルーツポンチらのファンであり、お笑いポポロを購読している。他のお笑いも含め、ライブDVDを購入して見るのが趣味。また「バラエティー番組を録画して面白いところを編集する」のも趣味としており、DVD/HDDレコーダー全盛の2009年の時点でVHSレコーダーを購入した。
1992年5月13日、東京都に生まれる。父がロシア人で、母が日本人である。兄弟はいない。滝沢は生まれも育ちも日本のため、ロシア語は話せない。
元々洋服が好きでファッションの楽しさを伝えたいと思いファッションモデルを志していた。スカウトされ2008年4月1日、芸能事務所グルーヴィー・エアーに入所した。事務所に所属した際に社長松本兼市からマザー・テレサの言葉を贈られた。両親にはモデルになりたいと言い続けていた為、芸能界入りに賛成してくれたという。
2008年、ファッション雑誌『セブンティーン』のモデルオーディション『ミスセブンティーン2008』で6283通の応募の中から読者投票で圧倒的な支持を得て、極めて珍しい単独でグランプリに選ばれる。同年8月20日のイベント『セブンティーン学園祭2008』でマスコミにその姿が初公開となった。同年より専属モデルとして活動する。なお、同オーディションは芸能界に入って初めて受けたオーディションだった。
2009年6月に、化粧品ブランド「マリ・クレールコスメティクス」のイメージモデルに1年契約で就任。滝沢にとって化粧品関連の仕事はこれが初である。
2009年5月19日から24日まで土屋勝義による滝沢を被写体として写真展『瞳の中の少女 滝沢カレン 17歳』が開催される。2008年から2009年にかけての滝沢を撮影したものである。
2009年公開の映画『ROOKIES-卒業-』に購買部マドンナ役で女優デビューを果たす。2010年秋公開の『マリア様がみてる』で初めて主要人物の役を得た。滝沢は佐藤聖役を演じる。
趣味は、グロス集め、ボディクリーム集め、音楽鑑賞、エレキベース。ベースは、高校の軽音楽部で弾いている。特技は、短距離走、指揮、クラシックバレエ(留学経験あり)。バレエを3歳から14歳頃までやっていたため、根気には自信があると語る。自己分析による長所は、前向きでポジティブなところ。短所は人見知りなところ。
憧れの人物として、セブンティーンモデルの先輩・榮倉奈々を挙げている。その榮倉からは「凄いキレイ。私より年下なのにセクシーな感じ」と評されている。好きな芸能人は、藤井リナ、小栗旬、沢尻エリカ、大石参月。
好きな言葉は「あきらめたらそこで試合終了」。これは滝沢が好きな漫画である『スラムダンク』に登場する台詞である。
滝沢カレンのブログ「滝沢カレンブログ」
北海道石狩市出身。所属事務所はワンエイトプロモーション。
1988年1月10日、3兄妹の末っ子(兄と姉がいる)として北海道石狩市に生まれる。北翔大学短期大学部服飾美術系卒業。
幼少より石狩エンジェルクレア少年少女合唱団にて合唱を中心に、ミュージカル等を公演。北海道二期会オペラ公演にて、子役デビュー。
15歳の時、札幌市で開催された振袖ショーでモデルデビュー。
2006年、札幌のモデル事務所モーディアに所属。
2007年4月、北海道テレビにて放送された情報バラエティー番組「ワンサカ!」のレギュラー「ワンサカーズ」としてタレントデビュー。
2008年、北海道文化放送の生放送番組「タカアンドトシのどぉーだ!」ミス北海道ウォーカーオーディションで番組レギュラーとなり、二代目どぉーだガールとして、ステラプレイス紹介や温泉めぐりのコーナーで活躍した。
2009年、札幌コレクションに出演。
2010年、上海ドールがMCを務めるパチンコバラエティー番組「銀玉の魂」レギュラーに。金色の全身タイツを着たり、顔面パイや極寒放水地獄等の罰ゲームを味わった。
2011年、モーディアを退所し上京。 ファッションモデルとしての活動をする中、同年11月30日、神奈川県横浜市で行われたミス・ユニバース・ジャパンの地方予選大会でグランプリを受賞(この当時は本名「阿部みほ」として)し、全国大会のファイナリストに選ばれた。
2012年、ワンエイトプロモーションに所属。
2013年、フジテレビ「アウト×デラックス」レギュラーアシスタント。バーカウンター席で美脚を披露する体勢で毎回座っている。
西鉄福岡(天神)駅ソラリアビジョン前でスカウトされ、福岡のモデル事務所に入る。
2006年3月、「神戸コレクション×JJモデルオーディション」グランプリ受賞。これを期に上京する。
2008年に、ファッション雑誌『mina』専属モデルに選ばれる(2009年まで)。
2008年11月、2009三愛水着イメージガールに選ばれる。
2009年に、『with』の専属モデルに移行。
趣味はアクセサリー作りとバッティングセンターに通うこと、特技はイラスト(高校は、デザイン科所属)
兄と弟がいる。
鹿谷弥生は、事務所の同期、同郷、同学年。
好きなアーティストは、BUMP OF CHICKEN。
小学校高学年の頃、遠足で犬のフンを踏んで、同級生にズタボロに弄られ、泣いたというトラウマから、ちゃんと下を見て歩くようにしている。
宮田聡子のブログ「さとこと」
4歳でおもちゃのクラブを握り始め、小学3年の時に本格的にゴルフを始める。
北九州市の九州ゴルフ専門学校を卒業後、2003年に2度目の挑戦でプロテスト合格(75期生)。
2007年3月のツアー開幕戦ダイキンオーキッドレディスに主催者推薦で出場し、プレーオフで米山みどりに敗れたものの2位と大健闘を見せた。
吉川ひなの、長谷川京子、新垣結衣らと同じ事務所レプロエンタテインメントに所属。フジテレビ「ジャンクSPORTS」に出演するなど、美人ゴルファーとして注目されている。
2007年9月、インスタントラーメンの日清食品とスポンサードを結ぶ。
市川市立大柏小学校、市川市立第五中学校、千葉県立市川西高等学校、文京女子短期大学英語英文学科を経て、東京女子大学現代文化学部(編入学)卒業(杉山明子ゼミ)。本人いわく文京女子短期大学から東京女子大学に編入するころが一番勉強を頑張った時期だという。大学時代にはアメリカ・イリノイ州に8ヶ月間滞在した。
2001年、日本テレビにアナウンサーとして入社。同期のアナウンサーは阿部哲子(現・フリー)、杉上佐智枝、森圭介。アナウンサーの下積み期間が長い日テレでは異例の、入社わずか9ヶ月で『スポーツMAX』のMCに抜擢され、主にスポーツ畑で活躍した。『スポーツMAX』での“西尾スポーツ”(略して西スポ)のコーナーを担当した。
2005年より、『ズームイン!!SUPER』『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』など日テレの看板番組の司会に起用されて現在に至る。また、『未来創造堂』では進行役を務めるなど、ニュースからバラエティー、長時間特別番組まで、スタジオMCの仕事を幅広くこなしている。2007年の夏目三久の入社までは、レポーターや実況などの下積み経験を重視する日テレにおいて、看板番組のMCだけを担当し続けている珍しい存在であった。
学生時代から環境問題に関心があり、環境特定非営利活動法人CCC自然・文化創造会議/工場の活動にも参加していたことがある。また日テレアナウンサーになってからも雑誌『ソトコト』で環境に関するコラムも書いていた。そのため、ズームインのプロフィールにも環境問題のコーナーをやってみたいと記載されているが、2007年4月23日放送の『ズームイン!!SUPER』でエコ担当キャスターに就任、その念願が叶った。 そして、2008年7月に実施された「eco検定」を受検し、見事合格した。
アナウンサーとしての人気は高く、「好きな女子アナウンサーランキング」では年々順位を上げ、殿堂入りを果たした高島彩(フジテレビ)には及ばないものの、2009年の調査では中野美奈子(フジテレビ)や小林麻耶(元TBSテレビ)、滝川クリステル(元フジテレビ)などの上位常連アナウンサーを抜いて2位になった。
中学生時代はバスケットボール部に所属、キャプテンをしていたがまとまらなかった。そのことを話したら「だろ?」と羽鳥に突っ込まれる(2009年3月の『おっぱいバレー』試写会より)。
『ズームイン!!SUPER』やズームインのホームページのコンテンツ『羽鳥・西尾の裏ズームイン!!』で羽鳥が「西尾さんは漫画好き」という発言をよくしている。実際漫画は好きなようだが「休日は漫画喫茶で過ごしている」「持ち歩き用と保存用がある」という羽鳥の発言は否定している。
放送中でも鼻をかむほどの花粉症である。
春と夏は、ベージュ系のパンストを滅多に履かない一方で、秋と冬にはタイツを履く。
『ズームイン!!SUPER』のマスコットキャラクター「チャーミン」のくちばしは、西尾の口元がモデルである。
2001年入社では最年長ということもあってか、同期入社の森圭介を「森ちゃん」と呼んでいる。また、同じく同期入社で同学年の杉上佐智枝からは「西尾さん」と呼ばれている。
『24時間テレビ』の総合司会を5年連続で担当。5年連続で総合司会を務めた女性は西尾が初めて。長期に渡って総合司会を担当しているのは、看板番組を担当していることの他に、入社5年目と歴代担当者に比べかなり早い時期に起用されていること(永井美奈子、笛吹雅子は入社8年目、松本志のぶは入社10年目で初担当)や、独身であること(結婚してしまうと子育てという問題が生ずる可能性がある。但し松本は2003年6月に結婚し2004年まで総合司会を務めた)が要因として考えられる。 。
2008年12月26日放送の『未来創造堂』にゲストで同僚アナの鈴木崇司・松本志のぶ(現・フリー)・羽鳥慎一が来た時、羽鳥と木梨憲武が「西尾アナの付き合い方で悩んでいる」とコメントしていた。紳助の証言どおり「食事や飲み会には参加しない」、「ズームインの為に飲み会は滅多に参加しない」、「行くとしても気に入った店のときだけ」、「ひどいときはズームインの全国アナウンサーの親睦会でも参加しない」との事。番組内では西尾本人はヘッドフォンをし、西尾に外部の音が漏れないようにしてトークしていた。羽鳥の話では「食事に行くかどうかの判断基準が食べたいものがあるかどうかで参加者で判断していない」と言っている。
2009年8月17日放送の『人生が変わる一分間の深イイ話』で紳助が「西尾さんと羽島さんの間でズームインを5年目担当することになって劇的なことがおこったんだよね」と言ったら、羽島の話では「2009年になって初めて西尾さんから年賀状を貰った」と証言している。
未来創造堂では、周囲から「西尾さんは食べ物のネタになると食いつくが、それ以外のネタは食いつかない」と言われている。
上記のエピソードからも伺えるように、かなりマイペースで、本人も自分の性格を「内弁慶」と評している。そのため、生中継のレポーターや実況の仕事は得意でなく、入社以来一貫してMCの仕事を担当している。
しかしながら、アナウンサーとしての人気は高い。未来創造堂で木梨に「日テレのエース」といわれたこともあった。だが、その際はゲストできていた有吉弘行に「そうですね。鼻っ柱って感じですね。」と言われてしまった。
グラビアアイドルとファッションモデルの双方で活躍している「グラデル」・「グラデル女優」と称される。また、ナマドルの先駆けでもある。
メジャーデビューまでの間、スーパーマーケットの試食販売員(マネキン)、スポーツショップやレンタルビデオ店の店員、イベントコンパニオンなどのアルバイトしながら、舞台やモデルなどの活動を続けていた。
10月より、「藤井隆のGO GO!スカパー!」にレギュラー出演。
1月11日、女優を目指す立場で「私的ブログ」を開設。
2月、東京の自室賃貸契約更新を期に、芸能事務所のオーディションなどに積極的に応募し始める。
4月、「A-TEAMクリスタルピュアオーディション」でグランプリを受賞し、同事務所に所属。
4月24日、ほしのあき・小阪由佳・玲奈とともに「スカパー!『F組応援団』」を結成。
6月7日より、スカイパーフェクTV!「Wにくびったけ」(2006 FIFAワールドカップ専門チャンネル)に「F組応援団」の一員として出演。
6月9日、「BOMB」でグラビアデビュー。
7月19日より、CS日テレパンチクラブ・エンタ!371「Idol Park」にレギュラー出演開始。
8月23日より、地上波初の準レギュラー番組となるMBS「ジャイケルマクソン」に出演開始。
10月25日号から、インターネットファッション雑誌「ファッションウォーカー」にレギュラーモデルとして登場。
10月27日、1st DVD発売。以降、毎週数誌の週刊誌・雑誌などのグラビアに登場。
1月8日、東北放送「イブニング・ニュースTBC」の「今年活躍が期待される宮城県出身者特集」で取り上げられ、MBS「ジャイケルマクソン」出演の様子やインタビューなどが放送される。
1月28日から、特撮テレビドラマ『仮面ライダー電王』(テレビ朝日)のハナ(ヒロイン)役で、初の全国放送テレビドラマレギュラー出演。
2月3日、2nd DVD「face~きりっと白鳥 まったり百合子~」発売記念イベント。約220人が来場。
3月3日、「神戸コレクション2007春/夏」(MBS主催)神戸公演にゲストモデルとして出演。同年3月10日の横浜公演にもゲスト出演。
4月8日、1st写真集「リリー・ホワイト」発売記念握手会。
5月8日より、仙台放送「mashup!音王MUSIO」(音楽番組)にレギュラー出演。
6月9日、3rd DVD「like a flower」発売記念イベント。
2007年8月頃より体調不良を理由に芸能活動を休止。ただし、ブログの更新は継続する。
2月17日、ブログが900万アクセス。これを契機とし、所属事務所からの離脱をブログ上で明らかにした。
9月29日より、仙台放送のテレビ番組『川島隆太教授のテレビいきいき脳体操』のフィトネスコーナーにレギュラー出演。これにより、事実上タレント業に復帰。
特技・趣味:料理・習字(3段)・イラスト・アニメ声・編み物・短距離走・バドミントン・ウォーキング。
「りり~ふぁるこん」という名前のアメリカン・コッカー・スパニエルを飼っている。
座右の銘は「コツコツまじめ」・「いつも心に太陽を」。ブログにも度々記述。イベント時には、ファンがブログに書き込んだハンドルネーム・居住地・印象などをまとめたメモを持参していた。
DVD発売イベントでは、車椅子のファンが壇上に上がれないのを見てイベント終了後まで残ってもらい、ファンが引き揚げた会場で駆け寄り、涙を流しながら謝辞を述べ、長時間対応した。
1983年、東京都に生まれる。父の仕事の関係で生後2週間でドイツに移住。幼少時を過ごした。
1991年ごろ、帰国した後、日本の小学校に入学。7歳でヴァイオリンを始める。父の勧めではなく、友人が習い事をしていることに刺激を受けたことがきっかけである。「音楽教室の先生が優しそうだ」という理由でヴァイオリンを選択した。
1996年ごろ、中学1年で再びドイツへ渡航。
1998年、14歳でドイツ学生音楽コンクールデュッセルドルフ第1位。
1999年、帰国し、東京音楽大学付属高等学校に入学。2002年に東京音楽大学に進学した。
2003年ごろ、桐朋学園大学カレッジ・ディプロマ・コースに編入学。この頃、女性クラシカルバンドVanilla Moodに加わり、Emilee名義で活動。2004年からNHK総合テレビ『お昼ですよ!ふれあいホール』にレギュラー出演し、毎回、番組内でテーマ曲の生演奏などを務めた。当時の所属はヴィジョンファクトリー。
2005年1月7日、学業及びクラシック音楽への専念を理由に、Vanilla Moodを「卒業」という形で脱退した。
2005年12月4日、本名の「宮本笑里」名義で、テレビに出演(NHK-BS2『叙情歌大全集』)。父・文昭との初共演を果たした。
2006年、のだめオーケストラメンバー(フジテレビ『のだめカンタービレ』)に選ばれた。
2007年2月7日、宮本のために書き下ろされた曲「passion cachée〜秘めた思い〜」(松本俊明作曲)を収録したオムニバスCD「image6」が発売された。同日から公式サイトを公開し、CDデビューに向けた本格的なプロモーションを始めた。
2007年7月18日、アルバム「smile」でCDデビュー。
2007年10月2日、サントリーホール小ホール(ブルーローズ)にてデビュー・リサイタル。
2008年2月、大阪(7日)、名古屋(8日)、東京(14日)の3カ所を巡る「smileツアー2008」実施。あわせて、初のフォト・エッセイ本(アーティストBOOK)「smile/宮本笑里」(ソニーマガジンズ)を発売。
2008年3月26日、初のシングル「fantasy」(期間生産限定盤、同年5月31日で生産終了)を発売。
2008年9月3日、セカンドアルバム「tears」を発売。
2008年10月24日、「リサイタルツアー2008 tears」が名古屋を皮切りに開始。その後、益田(25日)、焼津(11月3日)、東京(12日)、大阪(14日)、豊川(16日)、札幌(12月12日)、横浜(23日)の順に計8カ所を巡った。
2008年11月12日、フランス人歌手クレモンティーヌの娘ソリータ(solita)とのコラボシングル「東京 et 巴里」を発売。
2009年3月11日、初めて単独出演したヤマザキナビスコ「コーンチップ」のCMの放映開始。
2009年3月18日、ポップスを収録した初のミニアルバム「break」を発売。
2009年10月21日、サードアルバム「dream」を発売。
2009年10月26日、「リサイタルツアー2009 dream」が東京を皮切りに開始。その後、仙台(28日)、盛岡(29日)、福岡(11月7日)、新潟(10日)、いわき(20日)、名古屋(25日)、廿日市(26日)、横浜(12月11日)、大阪(12日)、網走(16日)、札幌(18日)、東京(2010年1月14日)の順に11都道府県の13カ所を巡った。
2009年11月25日、スウィートボックス元ボーカルのジェイド(Jade Valerie Villalon)と日米ユニットを結成。デビューアルバム「Saint Vox」を発売。
2010年2月24日、4月から日本テレビの『NEWS ZERO』にカルチャーキャスターとして週一回出演することを発表。
2010年3月26日、公式サイトがPLAYLOGから新システムに移行し、コメント掲載が承認制となった。その後、右クリック禁止も施された。
これまでに徳永二男、四方恭子、久保陽子、店村眞積、堀正文に師事している。
Vanilla Moodに在籍の件は、本人・Vanilla Mood双方ともに経歴に掲載しておらず、当時の関係記事も削除されている。
Vanilla Mood脱退後は、メンバーだったことを公言せず、プロフィールにも記載していない(ただし、NHK・BS「BSふれあいホール」に出演した際、経歴紹介のクレジットの中で記載された)。Vanilla Mood側も、宮本のCDデビュー後は、Emileeについて言及しなくなっている。
現在の公式サイトは当初「EMILEE BLOG」という仮タイトルにしていた。なお、このブログの開始後まもなく、Vanilla Mood側の公式ホームページからEmileeに関する画像と記述がすべて削除され、当人のコメントが記載されていたBBSも利用中止となった。
Vanilla Mood脱退後からCDデビューまでの間、小澤征爾音楽塾・オペラプロジェクト、NHK交響楽団や東京都交響楽団の定期公演、宮崎国際音楽祭などに参加し、経験を積んだ。当時は、父から買い与えられた1990年代製の楽器を使用していた。
現在の使用楽器は、ドメニコ・モンタニアーナ(1720年代、ヴェネチア製)。NPO法人イエロー・エンジェルから貸与されている。
プロの音楽家になることを決意してからは、父・文昭から厳しい指導を受け、練習中に泣き出してしまうこともあった。
愛犬はトイプードルのベリー(オス)とアンジュ(メス)。ベリーは「break」のビデオクリップに登場している。
東京都出身。アミューズ所属。女優業では「加賀美 聖良」名義を使い、その他の活動では「加賀美 セイラ」名義を使っている。
2000年にファッションモデルとしてデビューする。2001年に放映された「パパパパーン!」という歌声と共にウェディングドレス姿で登場したリクルート『ゼクシィ』や『J-PHONE』のテレビコマーシャルで注目を集めた。このCM以後は各メディアに注目されて今後の活躍を期待されていたが、学業を優先し一時芸能活動を休止してカナダのオンタリオ州にあるトロント大学に進学した。
2007年にもともと好きだった歌や演技を生かした活動をするために休学し帰国した。シングル『カレイドスコープ / 孤独のヒカリ』で、歌手としてデビューする。
母親が日本人、父親はポーランド系の血を引くケベック人(フランス系カナダ人だが、国籍は日本)。
ネイティブレベルの流暢な英語が話せる。英語は幼少から喋れたわけではなく、インターナショナル・スクールで本格的に学んだものである。
公立中学から日本のインターナショナルスクールに進学した。一時期は港区立六本木中学校に在籍していた。女性ファッションモデルのマリエは、中学時代からの友人である。
妹の加賀美玲奈も『装苑』などのファッション雑誌やCMなどに出演するモデルである。また、『an・an』では妹とともにセミヌードを披露している
特技はピアノとフランス語。
性同一性障害を抱え、2004年、20歳の時に大学を休学し、性別適合手術の費用を貯めるために新宿区歌舞伎町のショーパブに勤務していた。現在の芸名はその当時の源氏名であり、名字の「椿姫」は自身の好きなオペラ『椿姫』から、名前の「彩菜」はショーパブのママが画数を考慮して提案した候補から、それぞれ採ったという。2006年に単身タイに渡り性別適合手術を受ける。
帰国後は戸籍を女性に変更し、2007年に復学。2008年からはファッションモデルとしてだけでなく、タレント、音楽家、商品開発プロデューサーなど多岐にわたる活動を始める。