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青田典子のブログ「AOTA-STYLE」  [女優]

青田典子.jpg青田 典子(あおた のりこ、1967年10月7日 - )は、日本女性タレント女優、元アイドル歌手である。かつての女性アイドルグループ 『C.C.ガールズ』のひとりとしても知られる。株式会社オスカープロモーション所属。

出生名は「森田 典子」(もりた のりこ)で、初めはこの名義(1966年生)で活動していた。現在の本名は、玉置 典子(たまき のりこ)。


      

1967年
昭和42年)生まれ。東京都立八王子東高等学校を経て、戸板女子短期大学中退。

現在の夫は、音楽グループ 『安全地帯』の玉置浩二

経歴

「森田典子」

初め青田は、テレビの人気深夜番組 『オールナイトフジ』(フジテレビ)に、現役女子大生らによる女性グループ 『シーエックス』の一員として、本名の「森田典子」としてレギュラー出演した。同番組での青田には、ビキニ姿で垢すり中に乳首をポロリするお宝場面がある。

「森陽子」

1986年昭和61年)から翌年にかけては「森陽子」名義での活動実績があり、男性雑誌 『BUNTA』や、『月刊プレイボーイ』のグラビアページでは、ヌードも披露している。

青田はバブル期にあたるこの頃、「遊ぶことが仕事だった」生活を送っており、毎日のようにディスコに通い、VIPルームに出入りしていた。当時はVIP客からもらうタクシー代10万円だけで生活していたという。また、一晩で1,000万円を積まれたこともあったという。

C.C.ガールズ

1990年平成2年)、オスカープロモーションが主催したコンテスト、「日本美人大賞」に出場して準グランプリを受賞した。翌年、同コンテストの上位入賞者で結成された女性グループ、『C.C.ガールズ』の初代メンバーとなり、芸能界デビュー。当時の愛称は、「てんこ」だった。同年日本テレビ音楽祭新人賞、1993年にはゴールデン・アロー賞グラフ賞、1994年には「JAL沖縄キャンペーンガール」、1995年にはハット(帽子)グランプリ特別賞を受賞した。

グループ解散後

C.C.ガールズは1998年平成10年)に解散、その後青田はソロでの女優・タレント活動を開始し、映画Vシネマのヒロインクラスの役を務めるほか、バラエティーのMCなど幅広く出演した。

2004年平成16年)頃からは、「結婚を諦めて」(本人談)なりふり構わず仕事の幅を広げ、バラエティ番組『ロンドンハーツ』に出演。「格付けしあう女たち」のコーナーで、そのキャラクターから「L'amant(ラマン)青田」、「バブル青田」と呼ばれ人気になり、2005年冬スペシャルでは、バブルを代表する画家、ラッセンにヌードの絵を描いてもらった。また同コーナーでの決めゼリフ、「ジーザス・クライスト(Jesus Christ)[ハート]」が大爆笑をとりブレイクした。さらに、「バブル青田」の名前での歌手活動も行った(下記項目参照)。これら、「負け犬」の自虐的キャラクターを演じ、『芸恋リアル』では彼氏を募集し、年下の男性とつきあうことにもなった青田であるが、この時期実際には交際相手の実業家がおり、結婚・離婚も経験していた

バラエティ番組で人気を得ていた当時には、連続ドラマへの出演は激減していたが、2007年平成19年)4月からは、『孤独の賭け~愛しき人よ~』、『地獄の沙汰もヨメ次第』(共にTBSテレビ)、『ドリーム☆アゲイン』(日本テレビ)と、3クール連続でドラマ出演した。

私生活

2007年平成19年)5月、当時、いつまでも結婚できない『負け犬』として自虐的キャラクターをアピールしていた青田について、実際には結婚歴があることが女性雑誌に報じられた。それは、青田が2004年11月に1歳年下の実業家と結婚、翌年10月に離婚していたという内容であった。

その事実を認めたオスカープロモーションは、「当時の状況を考えると、それほどのものではないと判断、報告が先延ばしになってしまった」とした。また、これについて会見した青田は、その実業家とはその後もお互いの家を行き来する「恋人状態」であることを告白、記者会見で涙を流した。

一方、2010年平成22年)5月になると、音楽バンド 『安全地帯』の玉置浩二との交際が発覚した。青田は翌6月、「玉置を献身的に支えたい」として芸能活動を休止、同7月に玉置と再婚した。

バブル青田

「バブル青田」は、青田の歌手としての別名である。青田は元々歌手志望だったが、C.C.ガールズ時代にリリースした曲(初期は「D.D.GAPS」のユニット名でリリース)はヒットしなかった。そこで『ロンブー』の田村淳が『ロンドンハーツ』(以下『ロンハー』)で青田を「バブル青田」としてソロCDデビューさせようと企画。プロデューサーは、淳と同じ吉本興業所属(当時)で、青田自身も大好きという小室哲哉だった。

小室は自身の全盛期だった1997年の未発表曲を提供。作詞は、青田のカラオケの十八番である安室奈美恵の楽曲、『Chase the Chance』を作詞した前田たかひろ。タイトルは、そのまま『ジーザス』となった。

青田はカラオケBOXで練習をしたり、カウンターテナー米良美一などからボイストレーニングを受け、レコーディングに挑んだ。CDデビュー会見で『ロンハー』メンバーに初めて報告。またそこで同じ日に『ロンハー』で共演している熊田曜子もCDデビューすることが分かり、二人は一週間後の『オリコン』売り上げ記録で勝負し、負ければ故郷で『ジーザス』を披露するとに(結果、青田が12位、熊田が15位となり、熊田が自らの故郷・岐阜で披露)。さらに、幕張メッセでデビューライブを行うことも通達された。

振り付けはTRFのSAM、ETSU、CHIHARUが担当。ダンスレッスンを受け、ジュリアナ時代に流行した“ジュリ扇”を使ったダンスが完成した。曲の最後の決めポーズは「イナバウアー」ならぬ「イナバブル」。ライブに向け青木さやかと同じケビン山崎のジムで体を絞り、ウエストを68cmから60cmにしダイエットも成功。9000万円の費用を投じた幕張メッセのステージは見事成功。そこでCDジャケットが披露されたが、ジャケット撮影の時間がなかったため青田の運転免許証の写真(スッピン顔)が使われた。『ロンハー』共演者の青木さやかは『ジーザス』がお気に入りと公言している。


青田典子作品一覧
青田典子のブログ「AOTA-STYLE」
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